細川家住宅−さぬき市多和−
  阿讃山脈の山麓に「多和」という村がある。志度、長尾から阿波に通ずる街道沿いの村である。八筈山(標高788メートル)の南山麓に展開するこの村は、かつては讃岐の塩を阿波へ運ぶ「塩の道」の村だった。江戸時代に四国遍路が盛んになるにつれ、女体山(標高763メートル)越えの険しい遍路道の迂回路になっていたようである。
  田圃が開ける街道沿い一角に、築300年ほどの「細川家住宅」がある。 住宅は、18世紀初期の農家住宅の様式を伝える茅葺・平屋の住宅。土間、土座、竹床の座敷が東西に一列に配置された細長い造りの住宅である。屋内に入ると広い土間に唐臼、クド、土製の「せいろ」(起源は甑)などの生活用具が展示されている。土座は、中央に囲炉裏が切られ、籾殻の上にムシロが敷いてある。室内は大変涼しい。
  屋敷の入り口に「梨の木」の大木が植わっている。住宅の新築記念に家人によって植えられたものだろうか。落下したコルフボール大の実をかじると、まったく歯が立たず随分固い。梨の品種改良の歴史を知る上でも、細川家の梨の木は大変貴重なものであろう。
  それにしてもこの民家、よくぞ今日まで保存されてきたものである。近年まで実際に住家として使用されていたとのことである。家人の住宅や生活用具に対する人一倍の慈しみが、このような貴重な住宅の保存につながったのだろう。しかしいま、県内では茅葺屋根の葺き替え技能をもつ職人が絶え、住宅保存上の課題もあるようである。徳島県でも状況は同じであり、葺き替え時期が近づくと春茅を刈り少しずつため置き、大阪辺りから職人を呼び葺き替えが行われているようである。